誌面連載記事

『ココロノオクスリ』VOL.4 なんでいつも悩んじゃうのかな? ―心の仕組み、その2-

くるサーチ。2006.8~

存在を確認するという作業。

他者のアクションによって私たち人間は、自分の存在を認識するんだというお話をしました。
人はいつだって、どんなに孤独を愛する人だっても、注目され認められることが必要です。他者からの刺激が自分の確認する唯一の方法だからです。他者からの刺激、いろいろあります。愛撫、接触、音、つまり撫でるとか触るとか、叩くとか蹴るとか、誉めるとか罵倒するとか、非難するとか。そういった刺激によって私たちは自分の存在を認識しています。
そりゃあ、優しく撫でられて、賞賛されて、蝶よ花よと愛されていれば、私は愛されてる。私はこの世に必要な人物だ。私は守られているから安心だ。という確固とした心理的安定、つまり「ここにいていい、ここに存在しているという安心感」を持つことができるでしょう。でも、世の中ってそんなに甘くはありませんよね。子供が悪さをすれば、叱られたり叩かれたりすることは周知の事実。そんなにおいしい刺激ばかり与えられるわけはありませんし、両方与えられることで人は精神的に成熟していきます。ただ、バランスと質が問題です。
人は心地よい肯定的な刺激が足りなくなると、否定的なものでもいいからそれを得ようとしてしまいます。
例えば、優秀で器量よしの姉はいつも家族の注目の的、平凡な妹はついつい親の注意を引きたくて非行の道へ。なんて話し聞いたことありませんか?
好きな子と仲良くしたいのについつい意地悪をしてしまうとか。
前者は忘れられるより叱られたほうがいいんですね。後者は受け入れられたい気持ちがゆがんでしまって、結局逆効果。それでも気付かれないよりはいい。といったところでしょうか?
特に自我が形成される幼少期には、怒られてばかりで誉められたことがない、なんていう偏った状態では健康な心は育ちません。
「はいと言えない子は嫌いよ。」なんて厳しい条件をつけて愛されるなんていうのも問題です。そういう人との付き合い方が習慣化してしまうと悩みを増大させてしまうんです。
人間は、ごくごく小さなころに、無条件で肯定的な心地よい刺激をたくさんたくさん与えられると安心して、精神的に安定した大人になるといわれています。大人だってそうですよね、年がら年中「お前はダメなやつだ。」なんて親や家族のような親しい相手から言われ続けたらだめになってしまいます。